【プチ心理学】スペックが高いのに、なぜか自信がない。頑張った人が、人間関係でつまずく理由
同じだけ努力した人たちが、なぜか人間関係での在り方が違う、
その差はどこから来るのか。
こんにちは。スタジオイオタ(studio iota LLC.)代表の前田紗希です。
アカデミックな音楽の世界で長く過ごしていると、たまに不思議なことに気づきます。
客観的なスペックで見れば、明らかに「すごい人」なのに、なぜか人間関係がうまくいかない。
逆に、そこまで輝かしい経歴でもないのに、周りに人が集まって、毎日機嫌よく生きている人がいる。
この差は、「性格」や「才能」の話じゃないと思っています。
もっと根っこの部分に理由があるのかもしれません。
今回は、心理学でよく知られている内発的動機づけ/外発的動機づけという視点から、
そのあたりを考えてみます。
(遅延報酬型・即時報酬型については こちらの記事 で書いたので、今回はそのシリーズです。)
外発的動機づけと内発的動機づけ、努力の「燃料」が違う
同じ一生懸命やっていた人でも、
何が行動の出発点になっているかで、大きく二種類に分かれます。
| 動機の種類 | 内発的動機づけ | 外発的動機づけ |
|---|---|---|
| 行動の理由 | 好きだから、面白いから | 怒られたくない、褒められたい |
| 評価者がいなくなると | 続けられる | 止まりやすい |
| 失敗したとき | 次がある | 自己否定に直結しやすい |
| 自己肯定感の根拠 | 存在ベース | 機能ベース |
ここでポイントなのが、自己肯定感の作られ方です。
才能がないと言われていた。だから怒られたくなくて必死に練習した——
こういう外発的動機で積み上げてきた人は、
努力家であればあるほど、成績・資格・肩書きといった実績の上に自己価値を乗せてきたことになります。
こうしたあり方を、ここでは機能ベースの自己肯定感(条件付き自己価値)と呼ぶことにします。
成績や資格、肩書きといった「できること」や「結果」をもとに、自分の価値を感じている状態。
対して、内発的動機で動いてきた人は、実績より先になんとなく自分には価値があるという無自覚な感覚が根っこにあります。
こちらは存在ベースの自己肯定感(無条件の自己受容)と呼びます。
特別な実績がなくても、自分をそのまま受け入れられる状態。
- 自己肯定感が先にある → だから行動できる
- 行動の結果が先にある → それで自己肯定感を作る
一見、後者のほうが謙虚で、良いループに乗れれば好ましいように聞こえます。
けれど、燃料切れに極めて弱い状態なのです。
自分の価値を決めるのが、いつも他の誰かなんですよね。
相手の機嫌や、その日の評価次第で、一気に不安になってしまいます。
ここ一番に強い、外発的動機づけ
ただ、外発的動機づけが弱いわけではありません。
締め切りや試験、ここ一番の場面では、むしろ強い。
プレッシャーをエネルギーに変えられるのは、外発的動機づけならではです。

逆説。スペックが高いのに、なぜか自信がない
少し、具体的な例で考えてみましょう。
大学院まで出ていて、演奏家としても講師としても安定している。人脈も広い。
傍から見れば十分すぎるほど「持っている人」のAさんには、こんな悩みがあります。
堅実すぎて、新しいことに踏み出せない。
誰かに認めてもらえないと、不安が急上昇する。
堅実すぎるのが悩み、という言葉の背景にあるのはリスクそのものではなく、
失敗したときに自分を支えるものがないかも知れない、という不安かも知れません。
自分に才能がある前提で動く人と、
才能がないと言われながらも頑張ってきた人。
後者のほうが社会的に評価されやすい場面は多いです。
真っ向から積み上げてきた人の努力は、本物です。
才能がないと言われながら、折れそうになりながら、それでも続けてきた。
その炎に照らされていると、プロフェッショナルとは何かを学べる気がしています。
そんな後者、外発的動機で努力してきた人は、
人によってさまざまなので一概には言えませんが、
承認がエネルギー源になります。
その供給が不安定になると一気に揺らぐ。
結果として、
スペックは高いのに、自分に自信が持てない
という逆説が生まれます。

これが人間関係に出る
さて、ここからが本題です。
外発的動機で自己肯定感を作ってきた人は、
外からの承認を調達し続けないと、自分が安定しない
という状態になりやすいです。
- 学生時代は先生に認めてもらえると安心
↓ - 社会人になると同僚や上司の評価
↓
- パートナーができると、あの人が自分を必要としてくれると安心
やがて、誰かに必要とされている実感そのものが支えになる
対象は変わっても、外部で自分を保つ仕組みはそのまま続きます。
問題は、この状態で親密な関係に入ったとき。
Aさんのようなタイプの人は、相手が少し距離を置いたり、ちょっとしたすれ違いが起きただけで、不安のスイッチが入ります。
そしてその不安を解消するために、あるパターンが繰り返されることがあります。
② 不安が急上昇する(見捨てられるかもしれない)
③ それを解消しようとして相手を責めたり、試すような行動をとる。
④ 相手が謝る・折れる → 一時的に安心する
⑤ また不安に戻る → ①に戻る
これは攻撃的な性格でも、モラルの問題でもありません。
外部から自己価値を調達してきた構造が、人間関係の中で繰り返されているのです(再演)。
本人にとっても、決して楽ではないはずです。

一方で、「不真面目だった人」が意外と安定している理由
ここで少し、自分の話をします。
わたしは音大時代、お世辞にも真面目な学生ではありませんでした。
程よくサボり、友達と遊び、いそいそと自分の好きな音楽に傾倒していた。
先生に怒られても、あまり折れなかった。
でも今振り返ると、それは楽観的な性格の話じゃなかったと思います。
ダメな自分を責めて苦しくなるよりも先に、
単純に、好きだからやっていた。
自分の中に音楽への根拠のない自信があって、
スペックは高くないけれどその方向に動いていたんですよね。
怒られようと評価されようと、音楽への好奇心は変わらなかった。
だから外部の評価が揺れても、自分がそれほど揺れなかった。それは今も助かっています。
これが内発的動機づけの、ひとつの形だと思います。
内発的動機づけの、意外な落とし穴
ただ、落とし穴もあります。
内発的動機で動くタイプは、自分が安定しているぶん、他者への関心が薄れやすい傾向があると思っています。
関係を維持する動機が、わりと弱い。
先生の言うことを聞かない、怒られても気にしない、
その裏で、人脈を育てる機会をずいぶん苦手にしていました。
これは今も脆い部分です。

フィードバックを受け取りにくい
それだけじゃなくて、他者からのアドバイスや評価を、無意識に「干渉されている」と感じてしまうこともあります。
フィードバックをさらっと流して、気づいたら相手が黙っていた、なんてことも。
外部評価を気にしないぶん、改善のヒントを流してしまいやすい面があります。
別れたら「大嫌いになる」の正体
心理学にスプリッティング(分裂)という概念があります。
対象を「完全に良いもの」か「完全に悪いもの」かの二択でしか認識できなくなる状態のことです。
グレーゾーンを持てない、と言い換えてもいいかもしれません。
関係が壊れたとき → 相手は100%悪い人
別れたら大嫌いになる、2度と連絡しない。
一見さっぱりしているように見えますが、実際には自分を守るための認知の操作です。
なぜかというと、
=「そんな人に価値を置いていた自分は何だったのか」
という自己崩壊につながるから。
相手を100%悪に塗り替えることで、自分の選択を守ろうとするのです。
良かった記憶も、楽しかった時間も全部、悪い人との出来事として上書きしないと処理できない。
それは、過去の関係を自分の中に生きたまま置いておけない、ということです。
自己が揺るがないから
相手の複雑さを
そのまま保持できる。
存在ベースで自分を持っている人は、関係が終わっても、
良い部分とそうでない部分を分けたまま記憶しておけます。
逆に、誰かを完全な悪にしないと保てないとき、
それはその人の問題というより、
その人の内側の不安定さのシグナルかもしれません。
おわりに
どちらが良いとか悪いとか、そういう話ではありません。
自分の努力の燃料が何だったかを一度振り返ってみると、
今の人間関係のパターンが少し違って見えてくることがあります。
なぜあの人が許せないんだろう、なぜこんなに相手の反応が気になるんだろう、
そのモヤモヤの正体のヒントが、もしかしたらここにあるかもしれません。
※音楽家として生きていると、いろんな人に出会います。この記事は、そんな日常のあれこれを心理学で読み解いてみた、ただのメモです。専門的な助言ではありません🎵
作曲家、ドラマー、鍵盤奏者、RECエンジニア、音楽心理士。
国立音楽大学作曲科卒業。のちに一般大学で心理学の学位を取得。
25リットルのリュックとドラムスティックを携えて世界一周そののち、旅・音楽・食を融合させるレコード会社「studio iota LLC.」を設立。
2023年には「Gwangju Busking World Cup(韓国)」「Tainan City Music Festival(台湾)」「GLUC Fest(台湾)」に出演。2025年には「Karneval der Kulturen(ドイツ)」にドラマーとして出演。
現在9つの事業を展開している。また音楽療法士として、音楽療法の普及にも取り組んでいる。